信頼のおけるアマゾンフルーツメーカー
フルッタフルッタは、アマゾンフルーツのパイオニアとして、高品質の商品を皆様にお届けするために、栽培から生産、出荷まで一貫管理された原料のみを安定供給しています。それを手がけているのが、トメアスに移住した日系人組合員を中心とするCAMTA(トメアス総合農業協同組合)です。
CAMTAは日本人特有のきめ細やかな作業を得意とし、アマゾンにおいて栽培から製造まで一貫生産できる唯一のメーカーです。また、世界ではじめてアサイーの量産に成功し、それまでアマゾンの産地でしか食べられなかったアサイーの遠方への輸送を可能にしました。
フルッタフルッタとCAMTAは独占契約を結び、「自然と共に生きる」という想いのもと、おもにアグロフォレストリーで生産されたアマゾンフルーツをお届けしています。
森をつくる農業アグロフォレストリーの詳細
CAMTAの生産者
総合本部
CAMTAはトメアスの日本人移住者がアマゾンという辺境の地で経済的に自立するために1931年に創立された農業組合です。
創立当初はベレンでの野菜や米の販売を主な事業とし、やがて基幹作物となったコショウ栽培の栄枯盛衰からアグロフォレストリーへの転換を先導しました。そして後にジュース工場が設立されたことにより組合員の果樹栽培意欲が高まり、トメアスはアマゾンフルーツの里として変貌を遂げます。彼らの栽培技術は周辺のブラジル人零細農家にも普及し、地域の発展に寄与しています。
彼らが工場を設立し、アサイーの量産に成功しなければ、アサイーなどのアマゾンフルーツが一般に広く知られることはなかったといっても過言ではなく、まさにアマゾンフルーツのパイオニアとしての地位を築いています。
かけがえのないパートナー
フルッタフルッタはCAMTAのアジアにおける独占代理店であり、フルッタフルッタが市場開拓と販売、CAMTAが栽培と生産を担う唯一無二のパートナーです。
アグロフォレストリーの町、トメアス
トメアスはアマゾン川の河口の都市ベレン(パラ州都)より約200Km南に位置する町で、アマゾンにおける最初で最大の日本人移住地です。現在でも200 戸余りの日系人家族が暮らしています。
トメアスの歴史
日本人のトメアス移住は1929年より始まります。その年の7月24日、モンテビデオ丸が日本人移民42家族189人(単身者9人を含む)を乗せて神戸港を出港し、約2カ月の航海を経てトメアスに到着しました。
実はアマゾンには1907年頃より、ペルーからアンデス山脈を越えてやってきたペルー移民の日本人や、イギリスから大西洋横断の船でマナウスやベレンで働いていた日本人、そしてブラジル柔術の祖となる武道家「コンデ・コマ」(前田光世)もベレンに定住していたことも知られています。しかし、日本政府が正規に送り出した移民ではなかったため、公式には1929年が日本人アマゾン入植の年とされています。
トメアスに着いた移民たちは、アマゾン開拓で成功し「錦を上げて」日本に帰国することを目的としていましたが、文明社会から隔絶された厳しい環境下での開墾は困難を極めました。
彼らの前には手つかずの原生林が立ちはだかり、まず伐採から始めなくてはなりませんでした。また熱帯での農業の知識が乏しかったために、当初の換金作物の主軸となる予定だったカカオの栽培は思うように成果が上がらず、生活の糧を得るために野菜や陸稲の生産も始めます。ですがアマゾン地方のブラジル人はあまり野菜を食べる習慣がなく、野菜食を教えることから取組んだと言われています。
また、過酷な労働と厳しい気候条件に加え、熱帯の風土病である悪性マラリアが発生すると犠牲者が相次ぎ、町の墓地には日に日に墓標が増え、志し半ばで見切りをつけた退耕者も後を絶ちませんでした。アマゾンは「緑の地獄」と呼ばれ、また、今日ではベレンからトメアスへ車で4時間ほどの道のりですが、当時唯一の交通手段が川船のみであったために、トメアスは「陸の孤島」とも言われていました。文明から閉ざされた疎外感もその言葉に込められていたことが伺い知れます。
もんてびでお丸(商船三井提供)
アグロフォレストリーの誕生
トメアスの歴史を語るにはコショウ栽培による栄枯盛衰を欠かすことはできません。
1933年にシンガポールより持ち込まれた僅か2本の苗から始まり、生産量は1953年には630tと増大します。当時「黒いダイヤ」とも呼ばれたコショウはトメアスに莫大な富をもたらし、町にはコショウの富で建てられた豪邸(コショウ御殿)が建ち、病院や学校が建てられ、町の繁栄に繋がりました。
しかしコショウは病害によって壊滅的な被害を受け、病虫害や天候による不作、また市場価格の変動のリスクを避けるために、CAMTAにより取扱い作物の多角化としてコショウ以外の基幹作物の一つとしてカカオが提案されました。単一栽培に頼っていた反省から、ひとつの作物で失敗しても他の作物で補えるよう、農地に複数種の樹木や果樹を混植する農法が築かれていったのです。
これが、森林再生につながる持続可能な農業として世界中で注目され、地球温暖化の解決策として期待されている「アグロフォレストリー」です。
そして今日では、アグロフォレストリーで栽培されたアマゾンフルーツが、日本をはじめ諸外国に輸出されています。現在私たちがアマゾンフルーツを食べることができるのは、トメアスの日系生産者の努力や創意工夫なくしては実現されなかったかもしれません。まさに、アマゾンフルーツの商業化はトメアス移住者の功績の一つなのです。
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コショウを収穫する日本人移住者